| 一元化。 | 05/12/04(日)12:05:03 |
|---|---|
| 音楽を通して本人を見つめると、やはり生活と音楽との関係の深さを確認する。つまり、我の強い人の音はアンサンブル内でも我が強く、遅刻する人は誰かの音に依存しながらプレイしたり。そんな程度の事、いやいやこれが音楽においては一番重要なファンクションじゃないだろうか。先月のギタマガの某有名ミュージシャン曰く、音楽を通して全部が一つにつながってくる、という発言には同意せざるをえない。 比較的大きいアンサンブル内では、一音一音の責任は分散されやすいのが常である。都市部のオーケストラしかり、地方のそれも同じく、サウンドが集中していないのは一聴にして分かるものだ。小さいアンサンブル、コンボ編成、いわゆるバンド形態の場合はもっと違う部分が突出する気がするがそれはさておき。また個人的な感想としては、楽器をやってない人ほどアンサンブルの不注意を敏感に見抜く。楽器奏者は音をフォーカスする能力が優れているので、逆に全体の音像を聴き損ねがちである(特にアマチュアの場合は多々)。 リスナーは音楽を聴く以上に人を見ている。彼はおっちょこちょいだな、とか、彼女は几帳面だな、という風にである。しかし本来、音を出しているプレイヤーは人であるからして、その聴き方は至極当たり前に違いない。 翻ってアンサンブル内で周りの音を聴いていると、仲の悪そうなセクションと親密なセクションとがはっきり判別できる。そして事実それらのセクションは音楽以外でも親密だったりそうでなかったりする。これがいわゆる音楽と日常の一元化現象だといえるだろう。 一元化は不可逆的なものでなく、生活が整ってくれば音も美しくなったりするのだから恐ろしい。逆に性格的に問題児ちゃんが音楽を通して更正していくという美談も有りうるし、実際に目の当たりにしたものだ。 毎日新聞を読むだけでも音が変わってくる、と思うと生活自体が既に音楽なんだなぁ。 | |
| なんてほったらかしの状態。 | 05/09/13(火)11:17:52 |
|---|---|
| 一年以上も放置されていたこのEassy。まさにほったらかしという言葉が相応しい。久しぶりに読み返してみると、思ったより面白い考えがあるなぁと自分で自分を定点観測。今ならもっと違うだろうにという部分もありつつ、エッセーとは当時を振り返る意味でも書いていくものだと実感する。 近況というか、今タイトルどおり「ほったらかしの状態」な楽曲が数曲ある。うち数曲は依頼を受けて制作するものであり、この不良債権のような重荷に打ちひしがれている。 作りかけの曲というのは実に厄介者である。作っている最中はエキサイトしており、そのままで良いという気持ちでいるのだが、時間が経つにつれてその駄作っぷりに頭を抱えるのだ。そのつまり、前向きにとると自分が成長している証明でもあるし、同時に非力の証明でもある。 依頼されて行われる音楽制作は、その制作をしない人が思っている以上に論理的な作業である。どのように録音するか、どのようなリズムパターンがフィットするか、これらは歴史的セオリーがあり、それをキチンと実施することが世間へ指針を向けるということだと僕は考えている。 同時に、その組み合わせは自分の意図である。どの音階を使うか、どの楽器をチョイスするか、その時点で僕の意図はとりあえず一段落する。あとは依頼主の顔を見ながらの作業に終始する。 それを、例えば音楽的でないと批判する者もおろう。しかしそうではない。僕らミュージシャンは音楽の裾野を広げる役割も担っている。だからこの場合、身近に音楽が作られていく行程、音楽に関するアカウンタビリティが絶対必要だと思う。その作業自体は音楽的でないかもしれない、しかし大きい音楽という集合の内にある動作には違いないのだ。音楽の民主主義は僕のもっとも苦手とする思想ではあるが、それを望む人がおるのも理解できるから、素人の意見は最大限盛り込んで制作をするのである。 また音楽に携わらない人らほど聴覚は敏感ではないかと感じることが多々ある。音楽を音楽形式で聴いてしまうが故に、その音響的、物理的な音の効果に対してアンテナを弱めてしまったのか。個人的にそう自覚する瞬間が、依頼主と話をしていると感じる。 それを細かく言うなら、例えば倍音のリッチさを求めている依頼主がいたりするのだ。 僕は比較的音そのものに無頓着な面があった。楽曲のメロディーや構成が良ければ、アレンジや演奏はそこそこで良い、極端に言えばそのくらいの考えだった。 しかし実際音というものは、平等に人前に舞い降りる。音質や倍音、音響の重要性を実感するここ数ヶ月である。 | |
| 助言 | 04/04/11(日)20:56:41 |
|---|---|
| ある日僕はドラムを始めようと思った。概して楽をしたい僕は、ウナギ屋の息子(仮)のドラマーに尋ねた。 「ドラム始めたいけど、どうしたらいいだろう。」 彼は答えた。 『ゴリラの真似だよ!』 『理論なんてくそくらえだって!』 なるほど、楽しめよって事か。ゴリラのようにドラムを叩く、おおイメージが湧いてきた。どんちゃんどんちゃんどどちゃどっどちゃん。そうだな、これだな。 でもドラムセットもないので、昔ながらの椅子を相手にパット練習をしようかと。一日何時間もしない、一日半時間やろう。こうやって一つ一つ習慣付けていけば、きっと巧くなるでしょう。 どの楽器も、心の要点は一緒なんだね。楽器じゃなくてもか。 | |
| HOME PAGE |